「僕だと嫌なの?ラトビア」

その声に思わず背がすくんだ。




「最近僕たち仲良かったよねぇ。そう思ってたのって僕だけ?」

にこにこと笑いながら近づいて来る様はあまりにも恐ろしく歯の値がカチカチと鳴った。

「あ…それは…」

まさか彼に聞かれているとは。
ラトビアは己の迂闊さにほぞを噛む思いだった。



友達がいない―――



回りに協力してくれる者はいないわけではなかった。
生まれた時既に背を見上げるほど大きかったリトアニア。そのリトアニアと肩を並べるポーランド。ラトビアと歳が近いとはいえ何事も起用にこなすエストニア。彼と仲の良いフィンランド。デンマークからの独立を勝ち取ったスウェーデン。
ラトビアの回りには強く優しい者達がたくさんいた。
けれども彼らとラトビアの関係はあくまで兄弟的なものであり、友人と呼ぶには格差の有りすぎる国力がラトビアのコンプレックスであった。
彼らはラトビアに優しい。つらい時には助けてくれる。しかしそれはあくまで上位の者から与えられる援助であった。
それに対する不満はない。むしろ感謝してもしきれないくらいである。
しかし、ラトビアの求めるものは同じ立場で同じ物を見つめることのできる仲間、ともだち、であった。

彼らの恩に報いたい。彼らが危機に瀕した時には手を差し延べる力が欲しい。彼らの友人と呼べる立場まで上りたい。

そう願ったラトビアは、ロシアの、かつては己を虐げた力を利用することに手を染めてしまった。

それまでに彼の、ロシアの権力は絶大であった。
バルト海のシュテッティンからアドリア海のトリエステまで。カーテンを引いたように遮られた社会主義体制圏を形成し、西側諸国、特にアメリカとの対立を深めたとき、彼らが一線を踏み越えたら世界は崩壊してしまうのではないかと恐れられた。
ラトビアを含む東側の国々は辛苦の限りを味わい、独立という理想郷に思いを馳せる日々を過ごした。
しかし、その支配は終わりを告げる。
ソ連の支配的な体制の改革が始まり、東ドイツ、ハンガリー、ポーランドなどの衛星国が独立。米露間での冷戦も終結した。
バルト三国は独立戦線を結成し、WWU時の独ソ不可侵条約の無効化を宣言して独立回復の動きを強めていった。
そして1991年ソヴィエト内での8月のクーデターが失敗すると、ソヴィエトの国家組織は崩壊。バルト三国の独立が承認された。
ラトビアはリトアニアとエストニアと手を取り合い、涙を流して独立を喜んだ。

しかし独立後の生活は決して夢見た程甘美ではなかった。
ソヴィエト時代には重工業が盛んで大きな工場もたくさんあったラトビアは、ソ連崩壊とともにそれらの工場を破棄してしまったためこれといった基幹産業がなく、EU加盟後もGDPは低迷している。

一方ソ連崩壊後のロシアは西欧諸国と比べては差があるものの依然大きな力を保有しており、時にはかつての辛く悲惨な思い出だったものもにわかに懐かしく思えることさえあった。
さらにかつての栄華を取り戻そうと、ロシアはしきりに甘い話を持ち掛ける。ラトビアがその誘惑に負けてしまったとしてもいったい誰がそれを責められるだろうか。

そうしてロシアとラトビアの密な交流が始まった。

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独立云々のあたりはwiki参照
なんかくどくなった…さくっと読み飛ばしてください。
あとどう繋げるつもりだったかもさくっと忘れてます。どうしよう。