月夜の桜の睦月あきら様へ捧ぐ



※かなり捏造設定入ってます



「ヨンス…」
「うるせーんだぜ。話しかけんな」

おはよう、と声を掛けるつもりだった。しかし視線すら合わせることがかなわず、菊はただ遠ざかっていく広い背中を見送った。



とぼとぼと俯き加減になりながら教室に向かう。彼とは違う教室。成績がトップクラスの菊はアジアクラスから離れて成績優秀者のための特別クラスに属している。
授業の難易度も高く、出される課題はハイレベルのものばかりのクラスであったが、勤勉で努力家の菊は五本の指に入る優等生であった。
黙々と勉学にはげみ自己鍛練を怠らず、物静かで人当たりが良いその人柄は他を魅きつけてやまない。
しかし皆が好意を向けてくれる状況の中にあっても菊の心には熔けないわだかまりがあった。

(耀さんとヨンスは私のことが嫌いだ)

入学以来菊は長らく学校に来ていなかった。まともな授業も受けておらず、それでもいいと思っていた。しかし物好きな新入生がわざわざ家に通い詰めて菊を学校に連れ出した。(後から知ったことだが彼は現生徒会長が特別に目をかけている生徒で、次期生徒会長の候補に上がっているという事だった。)
なにはともあれ、菊は久々に学校の校舎に足を踏み入れた。
おずおずとアジアクラスに顔を出すと、同学年のイ・ヨンスが目ざとく見つけて声を掛けてきた。

『おう!菊!おはようなんだぜ!』

久々に顔を見る幼なじみであったが、屈託なく笑うその顔にほっとし、それと同時に自分が緊張で肩を張っていたことに気付かされた。
顔もおぼろげなクラスメイトもいる中で彼の明朗な笑顔を向けられるだけで菊には居場所が出来たように感じ、また同時に幼い頃と何ひとつ変わらない彼の性質に嬉しさがこみ上げてきた。

『久しぶりです、ヨンス。耀さんは元気ですか?』

懐かしさがこみあげ、ヨンスと一緒に遊んでもらった兄貴分の王耀のことを思い出す。年上らしく面倒見の良い耀に、大きくなるまで菊もヨンスもよく遊んでもらったものだ。
昔の記憶に思いを馳せながらそう聞いた菊に、ヨンスはらしくなく顔を曇らせて答えた。
なんでも特別クラスに属している耀の様子がおかしいということであった。ヨンスも詳しくは知らないようであったが、菊が内々に調べたところ特別クラス内での勢力図が大きく傾いているということであった。ヨーロッパクラスの権勢がすさまじく、さしもの耀でも押され気味であるという。
久しぶりに学校に通うようになるのなら、アジアクラスの対応や耀に対する態度なども改めて欲しいと強く思った菊は生徒会に要望書を出したが無下に一蹴されてしまった。
それからの菊は精力的に立ち向かった。持ち前の勤勉さと粘り強さで、今まで学校に来ていなかったというハンディキャップを乗り越え上位の成績を取り続け、さらにアジアクラスの地位向上に力をそそいだ。
らしくなく顔を曇らせるヨンスの顔など見たくない。耀と一緒に以前のように音楽でも奏でながら笑いあえたらいい、ただそれだけを思って菊は努力した。

その結果、耀を特別クラスから追い落とし、自分がその位置に取って変わることとなった。

『お前みたいな礼儀知らずは二度と顔を見たくないある!』

その時の二人の顔は今でも忘れられない。
耀は激昂し、菊の頬に平手を食らわせたあと、本当に二度と顔を合わせることが無くなった。
ヨンスも手を上げる兄貴分を呆然と見つめた後、顔を歪ませて睨みつけてきた。つらい事があっても陽気で、誰もを自分のペースに巻き込んでしまうヨンスが憎しみでぎらぎらと光る目で見つめてきた。
言い訳をする暇もなく、彼らとはそれっきり。菊はすぐにクラス替えとなった。

(きっと彼らは赦してくれない)

ただただ昔のように一緒にいたかっただけなのに。



いくら悲しくても顔には出さず、菊は黙々とノートに板書を書き写していった。
このクラスでは一時たりとて気を抜けない。少しの弛みでも見せれば下からどんどん追い詰める者達にこの席を奪われてしまう。
見栄などは考えていない。一重にアジアの地位向上のため菊はこのクラスにいるのだ。

しかし心のエアポケットに嵌まってしまう時もある。追う暇もないほどの早さで文字で埋められていく黒板から目を逸らし、校庭に目を向ける。窓際の中ほどの席は教師からの目も届きにくく、集中が途切れたときにはこうして窓の外の風景を眺めるのが菊の癖であった。
ちょうど外ではアジアクラスが体育の授業をしているようで見知った顔が何人も運動着姿で立っていた。

(いいな…)

勉学に重きを置いている特別クラスは受験に必要な五教科以外は必要最低限、体育など週に二回しかない。大人しそうに見えて実は体を動かすことが好きな菊はのんびりと楽しく学生生活が送れる通常クラスが時に羨ましくもあった。全てを投げ出してただ一人の生徒として彼ら過ごしたいという衝動が沸き起こることもある。

(あ、ヨンス…)

サッカーをしているのだろう、オフサイドからスローインするヨンスの逞しい体が目に入る。
後ろ姿だが体操服ごしにも筋肉の盛り上がった肩がはっきりとわかる。またしっかりと固い筋肉のついた太い二の腕が剥き出しになって伸びていた。普段袖の長い制服を着ている彼の腕を目の当たりにすることは稀で、おもわずまじまじと見つめてしまう。
健康的なその体躯は、背も伸び悩み筋肉も付きにくい菊には羨ましかった。無駄のないその動きを見ていると、ふとヨンスの頭が持ち上がり菊の方を見た。
ぽかんと口を開けた素の表情を正面から見れたことなど最近では滅多に無く、心臓が跳ねる。強気で朗らかな性格を現すようにその瞳はきらきらと黒曜石のように輝いている。
しかしすぐにその眉根はきつく寄せられてしまった。憎しみが彼の素直な心を歪めてしまったようにその表情は憎憎しげに歪んでいた。
浮き立った心を剣で串刺しにされたような痛みが走り、菊は俯いてしまった。

(わかっていたことなのに…情けない)

彼の心を歪ませてしまったのは紛れもない自分だ。罪悪感と悲しみに菊は顔を上げられなくなる。書きかけの公式を見つめても、それに記号以上の何の意味も見いだせない。切なさ、悲しさで心が張り裂けそうになる。

けれども―――

(あれ…?)

頬に突き刺さるような視線を感じた。

(まだ見られている)

見ていた事を咎めるような強い感情を込めたそれは気配でそうと知れる。斜め下から向けられた視線は動く事なく菊の横顔にそそがれていた。針の筵とはこのことである。首を一寸でも動かす事が出来ず、ただ視線を受けて固まっていた。
最近では睨まれることすらなくなっていたのに珍しい、と菊は思った。特別クラスに上がった当初は廊下で擦れ違うたびに睨みつけ、怒鳴り散らしていた。しかし、それくらいでは菊が動じないとわかると途端に存在を無いものとして扱った。

(あっ、あれっ…?)

血が逆上る音でも聞こえそうなほどあっという間に顔が真っ赤に染まった。おかしい、そう思っても無意識に頬が紅潮する。

(睨まれてるのに、うれしい…)

無視は堪えた。
気丈な菊は自覚はしていなかったが、視線すら向けてもらえないということは時に罵倒されるよりもつらく、菊の心を重く鈍らせていた。
憎悪が滲んでいようともヨンスの目が久方ぶりに自分をを捕らえたということ、ヨンスの注目をただ浴びている事が菊にはただ純粋に喜ばしかったのだ。

ヨンスがクラスメイトに呼ばれて視線を外すまで、そして外してからしばらくは菊は進む事のない書きかけのノートをぼうっと見ていたのだった。












日韓という難関お題をありがたくも頂戴し、無い脳みそひねりまくって設定捏造したり削ったり加えたり削ったり削ったりを繰り返していたらこんなよくわからん話に落ち着きました。
特別クラス=列強、というイメージで書いてます。
おそまつさまです…