ごうごうと、建物が燃える音がする。あぁ、あと一日もしたらここはあたり一面焼け野原になってしまうのかもしれない。
 熱い風を受けながら、ラトビアは泣きそうに顔を歪めた。自分の大切な国土が燃え、大事な国民が傷ついていく。それは、国そのものであるラトビアにとって大きなダメージであった。
「ぅ、ごほ…っ、げほっ、」
 ずきずきと痛むのは腹か、それともどこなのか。それすら判別がつかないほどに、全身が、痛い。
 先ほどまでロシアや自分の部下とともに戦っていたのだが、近くに落ちた砲弾の爆風で吹き飛ばされてしまったようだ。
 壁に叩きつけられた身体は、幸い骨に異常は無いけれど……もうぼろぼろだった。



 ラトビアがロシアの家に連れてこられてから、何度も戦争はあった。けれど…こんなに大きな戦争は、初めてだった。
 ラトビアの国土はドイツとロシアの激戦地となり、一進一退の長引く戦闘に、都市はどんどん荒廃していく。…ラトビアにそれを押しとどめる力など無く。
 ただ、戦うロシアの後ろで震えながら銃を握っているばかりだった。



「けほっ…あ…、…ロシア、さん、は…?」
 胸を押さえ、ラトビアは顔を上げる。
 そうだ。自分はロシアと一緒にいたはずなのだ。近くに、彼らがいるはずだ。一応自分は「国」であるから、自分を探している国民もいるはず…。
 急に心細くなって、痛む身体を堪えながらゆっくりと身体を起こす。ぐらつく視界の中、煤のついた壁に手をついてゆっくりと一歩を踏み出した。
 目に映るのは崩れた建物、いまだぶすぶすと煙を上げる街路樹。そして倒れた人々。ぐるりとあたりを見回しても誰もいない。
 寂しさからか、恐怖からか、涙が出てきそうになるのをこらえながら、必死に生きているものを探す。

 ロシアさんが砲弾一発でどうにかなるはずが無い。きっと近くにいるはずなんだ。
 建物が燃える音と、崩れる音。それがずっと耳に届いているはずなのに、なぜだかひどく静かな気がして、怖い。もうこの音に慣れてしまったのかもしれない。この、街が燃える音、に。
「ぅ、…ふぇ…。」
 抑えても抑えても湧き上がってくる涙をもう止めることができなくなってしまった。ぼろぼろと零れては頬を伝う涙を拭うことすらせずにふらふらと歩く。
 ロシアさん、ロシアさん…。心の中で、何度も彼を呼ぶ。
 怖くて怖くて仕方が無かったはずなのに、近くにいないと不安でたまらない。
 いつもいつもいじめられて、怖くて、でも…。


『大丈夫、ラトビアは僕が守ってあげるよ。』


 戦争の前、そう言って頭を撫でてくれたから…。
「ぅ…ロシアさ…ん。」
 ひく、としゃくりあげたその瞬間、がたりと音がした。反射的に振り向いて、そこに人影を見つけ一瞬瞳が喜びに染まる。が、それはすぐに恐怖へと入れ替わった。
「あ……。」
 そこに立っていたのは見も知らぬ男だった。ただ、その軍服には覚えがあって。今現在ロシアと戦っている……ドイツの…。
「―――――!!」
 彼はラトビアにはわからない言葉で何かを叫ぶと、持っていた大きな銃をラトビアに向ける。
「や…、ぁ……」
 恐怖にがたがたと身体が震える。もはや明確な言葉すら紡げずに、ラトビアはぼろぼろと涙をこぼした。
 嫌だ、助けて、怖い、怖い怖い怖いこわいこわい……助けて…ロシアさん……!
 怖くて目を開けていられなくて、ぎゅ、と目をつむる。
 パン、パン、パン、パン、
 乾いた音が何度もして、その後はまた建物が燃える音だけになる。ごうごうと燃える音は途切れることなく耳に届いて。

「………あ、れ……?」
 痛く、無い。ゆるゆると目を開ける。そして自分の身体を見てみても外傷は見あたらなかった。
「え? …なんで…?」
 自分を狙っていたドイツ兵のほうに目を向ければ、そこには血まみれで倒れている男が一人。服装から見て、先ほどの男に間違いないだろう。
 呆然と男の死体を見下ろしているラトビアの耳に、聞き慣れた声が、届いた。
「……言ったでしょ。僕が守るって。」
「っ!」
 ざぁ、と風が吹いて燃え続ける炎を揺らし…そして「彼」の白いマフラーをたなびかせる。
 手の中の銃を軽く持ち直して、ゆるりと微笑む、その姿に。ラトビアは思わず駆け寄った。
「ロシアさんっ!」
 自分から勢いよく抱きつくなんて今までしたことも無かったのに。気がつくとラトビアは自分よりも大きな身体にぎゅうと抱きついていた。
 大きくてしっかりとした身体。まだ零れ続ける涙を彼の軍服に染みこませれば、ぽん、と大きな手が頭に触れる。
「ラトビアは泣き虫だなぁ。」
「っく、す、すみま、せ…えぐ、…。」
「いいけど、服汚さないでくれる?」
 べり、と引き剥がされる。暖かな身体に力いっぱい抱きついていたつもりだったのに、軽く離されてしまい、思わずロシアの顔を見上げる。
 いつもと変わらない飄々とした表情。けれど、何かが引っかかった。

「……ロシアさん……?」
「何?」
 こくん、と首を傾げて見せるしぐさはいつもどおり。けれど、その顔はあまりに…青白かった。
 もともと彼はさほど血色のいいほうでもないし日焼けをしているわけでもない。透き通るとまではいかずとも白い肌をしていた。
 だが今は、血の気のまったく無い顔に、紫色の唇。明らかにおかしいと知れた。
「ロシアさん…ど、どうしたん、ですか…?」
 恐る恐る問いかけても、へらりとした笑みでかわされる。
「別に、どうもしないよ?…大丈夫。僕が守ってあげるから。」
 ふわ、と頭を撫でられた。これだけでもおかしいと、ラトビアは手を握り締めた。彼は自分をこんな風に撫でたりしない。こんな風に疲れた瞳で、青白い顔で笑ったりはしない。
 露骨にならないよう、彼の全身に目を走らせる。特に外傷はない。…ならば、なぜ?
 どくんどくん。心臓が跳ねる。誰よりも大きくて強いこの人が、一体どうして……。

「ろ、ろろ、ロシアさん、あの、その、ちょっと、休んだほうが…っ!」
 言葉が終わらないうちに、大きな身体がぐらりと揺れる。慌てて支えようとするけれど、この小さな身体では支えることなどできなくて。
 巻き込まれるように一緒にその場にへたり込む。先ほどよりずっと近くなった顔はやはり青くて、吐き出される息も荒かった。
「あれ…変だね、僕…。」
「無理しないでください! お願いですから!」
 ぐらぐらと揺れながらも立ち上がろうとするロシアを必死に押さえる。
「でも、僕が…やらないと…守らないと…。」
「だ、大丈夫です! 大丈夫ですからじっとしてください。」
 首元に抱きついて、必死に叫ぶときょとりとロシアの視線が向けられる。冷たい光のない、純粋な驚きに満たされたそれはひどく、澄んでいて。
 その蒼い瞳に、見とれてしまう。

「…ラトビア……ぐっ!」
 見つめあった時間はどれほどか。唐突にロシアは身体を折った。
「ロシアさん!? ロシアさ…っ!」
 ごぽ、と。
 真っ赤な血がロシアの唇から溢れ出た。縋り付いていたラトビアも、白いマフラーも血で染まる。
「――――っ! あ……ロシアさ、ロシアさんっ」
 ぐったりと力をなくした大きな身体を支え、何度も何度も呼びかける。しかし力なく閉ざされたその瞳は開こうとしない。
 ラトビアはがたがたと震える自分の手を叱咤して、ロシアの身体を建物の壁にそっともたせ掛けた。ハンカチやタオルなんて持っていなかったから、自分の服の袖で彼の顔について血液を拭っていく。
 その量の多さに、涙が止まらない。
 彼がどうなってしまうのか、怖くて、たまらなくて。
「ロシアさん、ねぇ、ロシア、さん…。」
 赤く染まった彼の手を自分の頬に押し当てる。べたりとした感触も今は気にならなかった。
 かすかに感じられる彼の体温のほうがずっとずっと、大事で。
「……ロシアさん……!」
 大きな手に頬を押し当てて、目を閉じる。どうかどうか神様お願いします。ロシアさんを助けてくださいお願いします…。

 ひっくひっくと泣きじゃくりながら、どれほど時間がたっただろうか。ふる、と淡い金色の睫毛が震え、ゆっくりと開かれる。
「………ぁ、…ト、ビア…?」
「ロシアさん!」
 焦点の合わない瞳に自分の姿を映して、ラトビアはまたロシアの身体に縋り付いた。そのとき。
「ロシア!? ロシア! こんなところにいたのか!」
 大きな声とともに、二人に影が落ちる。びくりと身体を震わせてラトビアが顔を上げると、そこには見慣れたロシアの国の軍服。
 よくはわからないけれど、この戦線の責任者か何かだったかと記憶を掘り起こす。
「あ、あ、あああの! ロシアさんが、すごく血を吐いて、それで…!」
「………そう、だろうな……。」
「え……?」
 この事態を予測していたかのような言葉。意味がわからなくて、ラトビアはロシアの軍服を握り締めた。
 ロシアはぼう、とした視線をラトビアに向けたまま動かない。

「本国で、革命が起こった。」
「………革…命………。」
 ああだから。…だからこの人はこんなに苦しんで。血に濡れた軍服、そして、青白い頬。
 がくがくと震えそうな手に力を入れて、ぎゅ、と握る。そして、小さく深呼吸を、ひとつ。
「…あ、あの……か、革命は、国が崩壊するような、ものですか?」
「現状でははっきりいえないが、おそらく国そのものが壊れることはないだろう。」
「………わかり、ました……。」
 それなら、いい。この人が消えないのなら、生き続けて、くれるのなら…。
「しかし申し訳ないがわれらは本国へ帰還する。…君たちを守ることはできない。」
「………わ、わかって、い、ます…。」
 すまないな、ともう一度軍人はラトビアに謝ると、後ろについていた部下に目を向ける。彼らはすぐさまロシアに近づき担ぎ上げようと手をかけた。
 すると、今まで焦点のあっていなかった瞳がわずかに光を取り戻す。
「、なに、するのさ…。」
「お前は本国につれて帰る。」
「…嫌、だよ。僕は、ここで…ラトビアを……。」
「守ってなんかくれなくていいです!」
 気がつけば、ラトビアは叫んでいた。
「こ、こんなに、こんなになってまで、守ってくれなくていいですから!」
 がたがたと震える身体はもう隠しようがない。けれどそんなことを言っている場合ではなかった。
 震える手でロシアのマフラーをそっと握る。
「ぼ、僕は大丈夫、ですから…。国に戻って、それで…。どうか、元気になってください。」
 赤く染まったマフラーから手を離し、腰のホルスターから銃を引き抜く。未だ手に慣れないけれど、しっかりと把持して立ち上がった。
「…ラトビア……っ、待って、そんなこと、僕は許さないよ…。」
 苦しげに紡がれる弱い声に、ラトビアは首を振った。ぽろぽろと頬を流れる涙が宙に散る。
「ロシアさん……どうか、また……。」

 また、会いましょう。

 囁くような声で伝えて、軍人に向き直る。
「……ロシアさんをお願いします。」
「…もちろんだ。」
 きっぱりとした返答を受けて、ふにゃりと安心したように微笑む。
 そして…震える足を叱咤して、ラトビアは駆け出した。
 手にした銃は重く、身体も思うように動かない。それでも。
 彼が、ロシアが安全に撤退できるように。自分を囮にしてでも、敵を引きつけるために…。


 どんどん遠くなる小さな身体を追いかけようと身を起こしたロシアを、軍人が押さえつける。
「、離し、て、よ…! 僕は、ラトビア、を…。っ、」
 抵抗するロシアの首に、司令官は手刀をひとつ落とす。途端がくりと力を失った身体を運ぶよう指示し、彼も立ち上がった。
 そして…一度だけ、かの小さな国の駆け去った方向へと目を向ける。
 そこにはただただ、荒れ果てた戦場だけが広がっていた。





 1917年 ロシア革命
 1918年 ロシア第一次世界大戦から撤退。バルト三国などに持っていた権利をすべて放棄する。










  萌えをぶつけてみようとしたのですが、空振りもいいところです…。
  なんていうか、すみませんでした……!









以下しじみ
月夜の桜」の睦月あきら様よりいただきました!
いやいやー!!!!!ガン萌えでした!ていうか燃えました!
戦争シーンフェチなんです!自分で書けないし!
こういう戦争映画みたいな素敵な文章、あこがれます!もらっちゃtttっていいいいいのでしょうか!?(落ち着け)
サイトやってるもんですね…鼻血が出そうな位嬉しいです!ありがとうございました!